「源氏物語」の和歌、詠んだのは全部 紫式部!

投稿日:2017-12-31 更新日:

紫式部は和歌の天才…だっけ?

 

「源氏物語」の中には何首の和歌があるか、ご存知ですか?

なんと…795首!

そして、何より恐ろしいのは、それらの歌は全部、「源氏物語」の作者である紫式部が、物語の登場人物に”成り代わって”詠んだものだということ。

性別も、年齢も、生まれも、性格も、才能も、状況も…何もかもが違うたっっっくさんの人物に”成り代わって”詠んだ。しかも、「ここぞ!!!」という場面で「どうだ!!!」という効果を持って。

 

じゃあ、紫式部の歌の評価は?

 

紫式部の歌って、評価されているでしょうか。

・百人一首に採られている(めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな)。
・勅撰集にも58首が入っている。
・「紫式部集」という家集まで持っている。

まあ、十分な実績と知名度はある。でも、「歌人として非常に優秀か」って言われると…そもそも「歌人」としてのイメージかと言われると…?もっと多くの和歌を勅撰集に採られてる人、他にいるよね、という感覚。

でも、その数え方、ちょっとずるい。だって、他の歌人たちは、自分のリアルな心情を、リアルタイムで詠んでるわけだから。そもそも「源氏物語」の中で登場人物たちが詠んだ歌は、紫式部の歌としてのカウントはされないわけだし。源氏物語で795首のカウント外の和歌を詠みつつ、百人一首や勅撰集に採られるほどの和歌も詠んだ紫式部は、もっと歌人としても評価を受けるべきではないだろうか。

紫式部は「成り代わり」と「歌い分け」の天才だ。正直、物語の中で詠んだ歌のほうが魅力的なものがいっぱいあるような気さえする。
だから、和歌って難しそうだけど、いやまず「源氏物語」が、「古典」がそもそも難しそうなイメージだけど、あらすじだけ、登場人物の相関図だけを学ぶんじゃもったいない!味わってもらいたい。795首すべてとは言わないから!ちょっとだけでも!

 

和歌は今で言うTwitter?

 

和歌って、たったの三十一文字しかない。その中でうまいこと言わないといけない。今で言うTwitter感。

古代の人にとって、和歌はとても身近なものでした。割りと、すぐ詠む。なにかあればすぐ。これもTwitter感。

桜が綺麗だから詠む!恋したから詠む!会いたくて、会えなくて詠む!フラれて詠む!悲しくて、嬉しくて、感動して、詠む!思いが溢れて、独り言のように、つぶやく!これはもう完全にTwitterでしょう。

リツイートされまくって有名になった、みたいな和歌が今も残ってるのかもしれないように、誰の目にも触れずに消えていった鍵アカの名ツイート(和歌)も中にはあるんだろうな…。ツイートが千年語り継がれるか分からないけど。

とにかく、昔の人は、ことあるごとに、馬鹿みたいに、何かあればすぐ和歌を詠む。そういう立ち位置で、今のTwitterくらい当たり前の物として生活に根付いていた。

 

和歌が持つパワー

 

現代を生きる私たちにはピンとこないけど、古代、和歌は物凄い力を持っていました。古典の授業でもやったはず。和歌パワーがハンパない話。例えばこういうの。

・宴の席で優れた歌を詠んだらめちゃくちゃ出世した!
・浮気してる夫を責めずに健気な歌を詠んだら夫が戻ってきた!

もちろん逆もあります。

・愛人に心開きすぎて風情のない歌を詠んだら秒で振られた…
・シンプルに…すべった!

たったの三十一文字。定められたルールがあるから、「人柄・センス・才能・気品・個性」ありとあらゆるものが分かりやすく出てしまう。和歌はとても身近で、同時にとてもシビアなツールでした。

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モテる男、デキる男は歌が巧い

 

男女の間での贈答(ラブ和歌)は駆け引き。めちゃくちゃ気の利いた和歌じゃなくちゃいけない。

字もうまくなきゃいけない。しかも考えるのは歌だけじゃなくて、紙の材質とか、色とか、墨のかすれ具合とか、和紙に香を焚きしめて文を開けたらフワッと香るサプライズとか、文の折り方とか、梅の枝に結び付けて送ろうかなとか。

物凄い手間暇かけて一通の文をデコレーションする。でもそれをサラッとやっちゃう風に演出しないとね。「俺、おしゃれだから。センスあるから。これくらいフツーだから」って。必死でやった感が出ちゃうと台無し。今も昔も、女はヨユーのある男が好きなんだね。

そんな文をもらったら、返事をする女も大変なんだけど。

こういう面倒くさい作業、従者がやってくれたら幸せだろうと…。光源氏の従者(乳母子)の惟光(これみつ)はその点カンペキ。光源氏が頼む前に、あらゆる面倒ごとをさばいてくれる。何せ死体処理までやってくれるほどだから。優秀な政治家には優秀な秘書が必要不可欠。しかも恋多き源氏のお忍びのお供をしてる間、ただ外で待ってるだけじゃない。源氏の恋人の従者と仲良くしてる。地味に恐ろしい男、惟光。

実在するモテる男・デキる男で一番に思い浮かぶのは在原業平。六歌仙のひとり。『伊勢物語』の「昔男」のモデル。業平が本当にイケメンだったかどうかは確認のしようもないけど(というか当時イケメンだったとしても現代の私たちの美的感覚だとイケメンじゃないだろうし)、業平の和歌を見たら「これはイケメンだわ…」と思ってしまう。でも紀貫之は『古今和歌集』の「仮名序」で六歌仙をバッサリぶった切ってる。それによると

―在原業平はその心あまりて、言葉足らず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし。―

在原業平はその感情が溢れすぎて表現する言葉が足りない。しおれた花が色艶がなくて、香りだけが残ってるみたいだ。

いや、そこがまた良いんでしょう、紀貫之! 「感情が溢れすぎて言葉が足りない」ってロマンチック過ぎ!身分の高い才能あるイケメン(仮)に、ちょっとしおれた美しい花の残り香の漂うような歌を贈られたら、女はもう自分が癒したいとしか思えないでしょう。『土佐日記』を女目線で書いた紀貫之は、本当はそんなこと分かってるのかもしれないけど。

…そういうわけで(?)、和歌は本当は面白いものなのです。いかんせん千年前に殿堂入りしたツイートだから。品詞分解とか、修辞とか、あまり難しく考えないで、楽しもう!(楽しむには知識も必要だけど、楽しみながらなら難しくないよ!)

 

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